実際のところ、子どもの頃から子どもが苦手だった。
若い、と呼ばれる時代には子どもと若者が苦手だった。
若いと呼べない今になっても、やっぱり若者と子どもが苦手だ。
子どもの頃、自分が子どもじゃなかったかというとそうじゃあない。
自分はきっちり「子どもらしい」子どもだった。
にもかかわらず、子どもが苦手だった。
つまるところ、同属嫌悪。
若い、と呼ばれる頃。
私はちっとも「いまどきの若者」ではなかった。
ある意味枯れていた。
何が?若さ、というより生命力が枯渇していた。
生命力が足りないのは今もなのだけど。
兎に角、若くない私は「若者」が別の人種に見えて仕方が無かった。
周りにいる「若くない若者」たちとはそれなりに気があった。
若いと呼べなくなった今。
やっぱり「いまどきの若者」と「子ども」は苦手だ。
子どもが苦手な理由は子どもの頃とはちょっと違う。
今は、動きが読めない事が苦手だ。
「いまどきの若者」に関しては…ますます異人種化が激しく。
意思の疎通そのものが難しい。
思考の根本が違っている相手と、言語体形が違っている相手と、会話なんぞ成り立たない。
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